ゆるり。

ゆるゆる 障害児子育て*ひとり親*介護職 など

75点

ほどほどに、所謂若者よりは長く生きた、それでもまだ若いとされる私の人生を振り返ってみた時に、75点くらいの生き方をしているなぁと思う。

75点というのは、テストの成績とか、頭の良さとか、そういうことではなくて…いや、それも実はそうだったかもしれないけれど、点数がつかないような物事に、もし点数をつけるとしたら、そのくらいということ。

 

そんなに悪くはないけど、完璧ではない。

いろんなことが、それなりにできるけど、極めるというところまではいかない。

中途半端。

 

最初に、ああ、そんな感じだなあと思ったのは、この1年ほどやっている在宅ワークでの評価を見た時。

「ミスがすごく多いわけではないけれど無くならない。」

それを強く感じたのが調子がいいと思っていたところで大きめのミスをして凹んだ時だった。

 

何かに真剣に、ていねいに、一生懸命に取り組んだ後の、何とも言い難い達成感は知っている。知っているってことは、過去にそういう風に、最後までやり切ったこともあったということだろう。

そういう経験があるってことは、ちゃんとできることもあるってことなんだろうな。

 

振り返ってみて、

ああすればよかった。

こうしていたら、今頃どうだったかな。

などと思うことは山ほどあって、でもそれはもう過去のことなので…。

 

平均75点に見えてもよく見ると、チラホラ100点があるぞ…!

 

みたいな人生がいいな。

 

そんなことを改めて思う。

改めて、丁寧に生きたい。

 

なんて(*´-`)

喪中です(*´-`)

父が亡くなって2週間とちょっと。

年が明けて、喪中のお正月はしばらくぶりです。

 

11月、入院中だった父の退院にあたって、施設を探すか自宅に戻るかとなった時、父を自宅に帰したいと言った母を、父に関わってくれていた医療と福祉の関係者の方々が挙って心配していました。

父の状態は不安定だったし、医療的なケアだけでも、時間を問わない吸引と点滴の管理と胃ろうからの薬の注入が必要だったので。

(ただ、環境的には何もない家よりはハードルは低かったのかな。吸引器があって、胃ろうからの注入に抵抗がなくて、医ケア児子育て中の娘が同居しているし、夜中に起きてお世話をすることにも慣れているし。)

退院して3週間ほどで父は亡くなりました。

お世話になった訪問診療の先生は、父は最期まで生き抜いたと思うと仰ってくださいました。

(帰宅後に肺炎になった時、私が吸引してるのを見て安心しましたと言ってくれた(*ノωノ)恐縮です)

ケアマネさんは、退院する時に入所を検討した施設に入れなくて、結果的に自宅で穏やかに過ごせたのでよかったですねと言ってくれました。

 

自宅で看取ることができて良かったです。

9月に入院してからほとんど面会できずにいた母は、11月末からようやく父と過ごすことが出来るようになりました。帰ってからは、先のことは考えすぎずに、ただ1日1日できることをしようねと、時々2人で確認しながら父の介護をしました。

父が帰ってから亡くなるまでの間に、母が父の前で泣いたのは、亡くなった日に一度だけ。

何度か、ちょっと弱気になってたと言っていたことはあったけれど、泣くことはずっと我慢していたようでした。

涙腺は緩いけど、強い母です。

「お父さんは、私たちに時間をくれたんだね。」

と、亡くなった日に母が言ってました。

特に、元気な頃は四六時中一緒にいた母にとっては必要な時間だったと思います。

私にとっても尊い時間でした。

 

帰ってきてからの父は、歩くことも食べることも排泄処理も、自分では何もできませんでした。

でも私は、一緒に過ごした3週間で、人は、ただそこに生きているだけで、周りの人に何かを与えることができるということを目の当たりにしました。

私も父から受け取ったものがあります。

 

亭主関白で、自己中で、短気で…

若い頃はあまり好きではなかったけれど、世話焼きでお人好しでまあまあ優しいことも知っていたから憎めなかった。

 

私がそこそこ上手に吸引できたことで、少しは父の苦痛を減らすことができたかな…?

そうだったら、嬉しいな。

 

今年も例年通り4日から仕事初めです。

がんばる。

たられば。

あの時わたしがあの子たちを引き留めていなかったら、心に傷が残るほどのことは起きなかったかもしれない。

 

私と長男には、同じ瞬間にできた心の傷がありまして。それは、私の兄に負わされた傷で、大人の私はそれでも、ある程度割り切ることができるんだけれど、その頃小学生だった長男はそんなの無理で、その時のまま、くっきりと残ったその傷は、きっともう消えない。

 

相手からしたら、いや、周りの皆からしたら、

「あんな昔のこと」

「まだ根に持ってるのか」

みたいに思うかもしれないけれど、時間と距離が癒しても、ずっと心の隅っこに居座っていて、触れようとすると一気に引き戻される。

 

あの時、私がもっとうまくやっていたら。

 

今でも時々考えてしまう。

 

ほとんど絶縁に近かった兄家族が、父の顔を見に来たいらしい。

正確には、「兄は、来ないと言ったはいいものの、本音は来たい。」ということらしい。兄嫁からそんな電話が来たと母が言っていた。そして、孫2人は会いたがっているから、兄を説得して、来るとしたら4人で、と。

私たちとの件以外にも色々とありすぎて、でもその膨大な情報量の色々を端折って私個人の気持ちを言うと

 

(´-`).。oO(やだよ。何をいまさら。

 

なんだけど、その大きなドス黒い気持ちと事情を無理やり横に避けて、父と息子、祖父と孫、ということだけ考えたら、会わなかったら後悔が残ると思う。

すべてを飲み込んで、来たいなら来た方がいいと思うと母に言ったら、母もそう伝えたと言ってた。

 

長男に、そのことを伝えたら、その日は外出すると言った。無理なので、同じ空間に居たくない。鉢合わせだけは勘弁してほしい。

そして、同居した時から、そう言うタイミングはあるんだろうと思ってた。考えてた。

自分のことはいい。それよりもばあばが心配。

そう言っていた。

 

小学生の子供に浴びせるには余りに酷い言葉を、大人から浴びせられた長男は、叔父のことを人の心が通っていない極悪人と、何の疑いもなく思っているんだろう。

それはもはや、好き嫌いとか言う次元ではなくて、修正も効かない。

フォローのしようもない。

 

ただ、母には、産み育てて、一緒に過ごした時間があるので、娘の私から見れば、長男が心配している程深刻でも無いのではないかと思う。

一応、きちんと人付き合いのできる普通の人ではあるので。

 

(´-`).。oO(私は無理っぽい。やばい。

 

そんな感じで、年を越す前に、乗り越えなければならない壁みたいなものができてしまった。

無理そうなら私も次男と一緒に逃げようと思う…!!!

 

 

長男には、家を出て何のしがらみも無く自由に生きて欲しい。

 

そう強く願った日でした。

でもずっと一緒にいたいぞ!無理だけど。

胃カメラ_( _´ω`)_

今日は胃がん検診をしに近所のクリニックに行ってきました。

前回は2年前で、内視鏡が鼻からは入らなくて口からになり、とてもとても辛い初体験となったのですが( ´∩ω∩` )

でもその前はバリウムで、それも辛いからいやだ…どっちもいやだ…やだ……逃げたい…

と思いながら、でも前回、年1回した方がいいよと言われていたこともあって、きちんと検査はしとかないと…やりたくないけど…みたいな感じで予約を取りました。

 

もしかしたら前回やってくれた方は物凄く初心者で慣れてなかったのかも。そして、今回はもしかしたら凄腕内視鏡マスターにやってもらえるかも!!!

という希望を胸に、検査当日を迎えました。

 

問診で、前回は鼻から無理だったことを伝えて、でもとりあえず試してみようかってことになったんだけど、やっぱりだめで今回も口からになりました_( _´ω`)_

次回までに鼻の穴を広げておきたい…いや、入口じゃなくて通路か…中の方はどうやって広げたらいいんだろ……。

 

麻酔が効いてるからか、私が胃カメラ初心者だからかよく分からないけど、

「唾液は飲み込まずに出してくださいね」

が、ともかくうまくできないし、

「息を鼻から吸って口から吐いて、体の力もできるだけ抜いて、寝ている時のようなイメージで。」

って言われても、この非常時にそんなの無理じゃん!!!となるし…

でも微妙に前回よりは上達したかな。

まあ…とりあえず検査結果も大丈夫だったし、終わったからよしなのです!!!

 

でももうやりたくないよー(´;ω;`)(またやる)

父。

9月下旬から入院している父が、今月末に退院予定です。

レビー小体型認知症で、8月頃にパーキンソンの症状が出始めてからあっという間に悪化していきました。

いまは嚥下機能が落ちすぎていて、30分〜1時間間隔での吸引が必要で、この状態で在宅での生活を望むご家族はごく少数とのことでした。

24時間看護だし、当然といえば当然ですね_(:3」∠)_

コロナ禍でなければと、今ほど思ったことは無いです。

療養型病院も特養も、面会の制限がまだまだ厳しいところばかりで、週に数回、10分の面会では寂しすぎる…ということで、母と二人で腹を括ったわけです。

幸いうちに吸引器あるし。

24時間看護による寝不足は、二人でシェアすることにしました。

 

ともかく母の思うように。母が納得いくように、できることをしようと思います。

 

父は、認知症の症状が進んでいっても、次男のところ(わたしの部屋)にだけは足繁く通って声をかけていました。

時々分からなくなっても、忘れてしまうことは無かった。

退院したら、次男をじいじのそばへ連れて行こう。

 

若い頃、父のことは好きでは無かったけど(嫌いってわけでもないけど。)、認知症になった父と同居してよかったなと思えることもありました。

夫婦で穏やかに過ごしている姿も、柔らかい笑顔も、素直な「ありがとう」という言葉も、若い頃は縁遠い人だったからね(*´-`)

 

やりたいこと

やりたいことは色々ある。

そのどれもが、自分の生活や仕事から派生している“誰かの助けになれば”っていう思いに基づいているものなんだけど、今のところ、思うだけで行動に移すまでの気力がないな_( _´ω`)_

 

ひとまずは、自分と家族のことでいっぱいいっぱいで、同じように障害児者の家族支援がしたいねって話しているお友達の話も、今はまともに受け止められないでいる。

やりたいねって気持ちはあるけど、気力が追いつかない。

いろいろ考えていて、提案してくれているのに、上の空でなんだか申し訳ないなと思いながら…

 

充電中です(*´-`)

 

 

おしまい