ゆるり。

ゆるゆる 障害児子育て*ひとり親*介護職 など

喪中です(*´-`)

父が亡くなって2週間とちょっと。

年が明けて、喪中のお正月はしばらくぶりです。

 

11月、入院中だった父の退院にあたって、施設を探すか自宅に戻るかとなった時、父を自宅に帰したいと言った母を、父に関わってくれていた医療と福祉の関係者の方々が挙って心配していました。

父の状態は不安定だったし、医療的なケアだけでも、時間を問わない吸引と点滴の管理と胃ろうからの薬の注入が必要だったので。

(ただ、環境的には何もない家よりはハードルは低かったのかな。吸引器があって、胃ろうからの注入に抵抗がなくて、医ケア児子育て中の娘が同居しているし、夜中に起きてお世話をすることにも慣れているし。)

退院して3週間ほどで父は亡くなりました。

お世話になった訪問診療の先生は、父は最期まで生き抜いたと思うと仰ってくださいました。

(帰宅後に肺炎になった時、私が吸引してるのを見て安心しましたと言ってくれた(*ノωノ)恐縮です)

ケアマネさんは、退院する時に入所を検討した施設に入れなくて、結果的に自宅で穏やかに過ごせたのでよかったですねと言ってくれました。

 

自宅で看取ることができて良かったです。

9月に入院してからほとんど面会できずにいた母は、11月末からようやく父と過ごすことが出来るようになりました。帰ってからは、先のことは考えすぎずに、ただ1日1日できることをしようねと、時々2人で確認しながら父の介護をしました。

父が帰ってから亡くなるまでの間に、母が父の前で泣いたのは、亡くなった日に一度だけ。

何度か、ちょっと弱気になってたと言っていたことはあったけれど、泣くことはずっと我慢していたようでした。

涙腺は緩いけど、強い母です。

「お父さんは、私たちに時間をくれたんだね。」

と、亡くなった日に母が言ってました。

特に、元気な頃は四六時中一緒にいた母にとっては必要な時間だったと思います。

私にとっても尊い時間でした。

 

帰ってきてからの父は、歩くことも食べることも排泄処理も、自分では何もできませんでした。

でも私は、一緒に過ごした3週間で、人は、ただそこに生きているだけで、周りの人に何かを与えることができるということを目の当たりにしました。

私も父から受け取ったものがあります。

 

亭主関白で、自己中で、短気で…

若い頃はあまり好きではなかったけれど、世話焼きでお人好しでまあまあ優しいことも知っていたから憎めなかった。

 

私がそこそこ上手に吸引できたことで、少しは父の苦痛を減らすことができたかな…?

そうだったら、嬉しいな。

 

今年も例年通り4日から仕事初めです。

がんばる。